相互鈑金のよもやま話 ~馬車の時代から“エンジンの時代”へ~

相互鈑金のよもやま話 ~馬車の時代から“エンジンの時代”へ~

皆さんこんにちは!

相互鈑金、更新担当の中西です。

 

~馬車の時代から“エンジンの時代”へ~

 

自動車整備業は、ただ車を直す仕事ではありません。人の命を預かり、社会の移動を支え、物流を止めず、地域の暮らしを守る仕事です。日々走る車の裏側には、必ず整備があり、整備があるからこそ「当たり前に走れる」という安心が成立しています

しかし今のように、車検や点検、診断機、法定整備が整った世界は、最初から存在したわけではありません。日本の自動車整備業は、自動車が普及する過程で、制度と技術と現場の知恵が積み重なりながら形づくられてきました。

自動車整備業の歴史の“前半”として、黎明期から戦後の復興〜モータリゼーションの拡大期までを中心に、「なぜ整備業が必要になったのか」「どんな技術と制度が育ったのか」を分かりやすく語ります


1. 自動車がなかった時代、整備の主役は「鍛冶屋」と「職人」だった️

自動車整備業のルーツをたどると、いきなり“車”に行き着くわけではありません。むしろ、前身は「修理する文化」そのもの。馬車や荷車、自転車、農具、機械を直す職人の存在が、整備業の土台になりました。

  • 金属を叩いて形を直す鍛冶屋

  • 木材を加工する大工

  • 車輪を作る職人

  • 機械の調整を行う職人

こうした“修理の技能”が地域にあったからこそ、自動車が登場した時に「直す人」が生まれやすかったのです

自動車は、鉄と機械の集合体です。しかも走れば壊れる。消耗品も多い。つまり、自動車が社会に入ってきた瞬間から、整備は必然でした。


2. 日本の自動車黎明期――「輸入車」と「修理工場」の登場

日本で自動車が本格的に登場した頃は、まだ輸入車が中心です。車は高級品で、扱える人も限られ、道路環境も整っていませんでした。故障も多く、部品供給も十分ではない。するとどうなるか。

「直せる場所」が必要になります。

初期の自動車整備は、メーカーの正規網というよりも、修理工場や機械工場が担う部分が大きかったと考えられます。つまり、整備の仕事は「販売の付属」ではなく、最初から“独立した必要性”として発生したのです✨

この時代の整備は、今のようにマニュアルや診断機があるわけではありません。構造を見て、音を聞いて、分解して、合う部品がなければ加工して作る。
整備というより、機械加工と修理が一体だった世界です。


3. 1930年代〜戦中:整備は“軍用車両”とともに進む

自動車整備の技術は、戦前〜戦中の時代に大きく育ちます。理由は、軍用車両の整備・修理が大量に必要になったためです。

  • トラック

  • 牽引車

  • 特殊車両

こうした車両は過酷な環境で使われ、故障も多い。現場では迅速な修理が必要です。ここで、整備技術は「部品交換」だけでなく、「応急修理」「現地修理」「再利用」の技術として鍛えられていきます。

もちろん戦争がもたらした影響は複雑ですが、整備業という技術体系が“組織として”育つきっかけになった側面は否定できません。
戦後の整備の担い手には、この時代の経験を持つ人も多く、技術が民間へ流れていきます


4. 戦後復興:車は“働く道具”として増え、整備業が地域に根づく️

戦後、日本は復興へ向かい、物流と建設が動き出します。ここで最初に増えるのが、乗用車よりもトラックや商用車です。

  • 物資を運ぶ

  • 建材を運ぶ

  • 人を運ぶ

  • 復興工事で現場を回す

車は生活の足というより、「働くための道具」として増えました。
道具は使えば壊れる。壊れたら直す。
ここで整備業は、地域のインフラとして急速に重要になります✨

また、この時代は部品不足もあり、現場の整備士は工夫の塊でした。

  • 使える部品を再利用する

  • 代替部品を探す

  • 加工して合わせる

  • 現場で応急修理して走らせる

この“現場力”が、日本の整備業の文化を強くしたとも言えます


5. 高度経済成長とモータリゼーション――整備が「制度」として整う

1960年代以降、日本は高度経済成長期へ。乗用車が一般家庭に広がり、車は特別なものから生活必需品に近づいていきます。

車が増えると、事故も増えます。
故障で止まる車も増えます。
整備の質が安全に直結する割合が、社会全体で大きくなります。

ここで重要になるのが、整備の制度化です。

  • 点検整備の考え方

  • 車検制度の整備と普及

  • 整備工場の認証制度(認証工場・指定工場)

  • 整備士資格の整備

整備は「個人の腕」だけでなく、「社会の安全を守る仕組み」へ進化します。
整備工場は、ただ直す場所ではなく、安全基準を守り、点検・整備を記録し、説明する場所になっていきました✨


6. 整備業は“町の安心”を守る存在になった️

車が普及すると、地域には整備工場が必要になります。
そして整備工場は、ただ故障対応をするだけでなく、日常点検・タイヤ交換・オイル交換・バッテリー交換など、車の健康管理を担うようになります。

この頃から、整備業は「町の安心」を守る存在として根づきます。

  • 「変な音がする」

  • 「ブレーキが効きにくい」

  • 「タイヤがすり減ってきた」

  • 「エンジンの調子が悪い」

こうした不安を持ち込める場所があること自体が、地域の安全につながる。
整備業は“人の生活の継続”を守る仕事として、社会に深く入り込んでいきました✨


自動車整備業の歴史の前半は、
修理職人文化輸入車の修理需要戦中の車両整備で技術が鍛えられる戦後復興で商用車整備が拡大高度成長で制度化し、地域インフラへ
という流れで、“必要に迫られて育った産業”でした。